総理大臣がどこの大学が問題ではなくて、ショーもない話題をしつこくしつこく追及するレベルの低い話題を蔓延させて国会の機能の邪魔をするマスゴミの存在の方が問題

総理大臣がどこの大学が問題ではなくて、ショーもない話題をしつこくしつこく追及するレベルの低い話題を蔓延させて国会の機能の邪魔をするマスゴミの存在の方が問題。こいつらいらんねん

 

数万円の接待とか寄付より、10年後、20年後の未来を決めるために

選挙して人が送り出されてるのに

7万円接待とか、どうでもいい話をするための場ではないんだよ、国会は

 

日本初の大学は1877年に生まれた東京大学ですが、この大学は東京大学の前身のひとつではあるものの、イコールではありません。したがって「旧東京大学」と呼ばれることがあります。

 

 そして、「旧東京大学」の法学部は総理大臣を輩出しています。それは第24代の加藤高明で、その就任は開学から実に47年後の1924(大正13)年でした。

 現在の東京大学とは異なりますが、この加藤こそ事実上唯一人の東京大学法学部出身という肩書を名乗れる総理大臣なのです。加藤は在任中に他界、そして後任となる第25代・若槻禮次郎(れいじろう)の時代に、元号が大正から昭和に代わり、やがて日本は激動の時代を突入していきます。


「昭和、平成、令和と東京大学法学部出身の総理大臣がひとりもいないということは、あり得ないのではないか?」

と思う人も多いことでしょう。

 確かに、そのような疑念を持つのは仕方ありません。なぜなら、岸信介(第56~57代)、佐藤栄作(第61~63代)、福田赳夫(第67代)、中曽根康弘(第71~73代)、宮沢喜一(第78代)ら、高度経済成長期以降の歴代総理大臣は、赤門で有名な“あの大学”の法学部を卒業しているのです。

 しかし、明治・大正生まれである彼らの在学時、当該大学は東京大学ではなく「東京帝国大学」という名称でした(それ以前は「帝国大学」)。つまり全員、東大法学部

ならぬ東京帝国大学法学部出身 ということ。

 

 また少しややこしいですが、東京帝国大学法学部は「法科大学」という名称だった時期もあります。日本国憲法下初期の総理大臣である吉田茂(第45、48~51代)、片山哲(第46代)、芦田均(第47代)、鳩山一郎(第52~54代)はいずれも東京帝国大学法科大学出身者でした。

 東京帝国大学東京大学に改称したのは終戦から2年目の1947年(昭和22)年9月のこと。つまり、東京大学になってから2021年2月までの約74年間、同大学法学部は、総理大臣となる人物をひとりも生んでいないのです。これは意外すぎる歴史だといえるでしょう。